かずまる特攻隊番外編・四国一周自転車特攻隊

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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

H21年7月20日(月)日和佐〜徳島(同行編6回目・その3)

   

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

そ して、日和佐を出て約1時間30分、予定よりも約25分早い9時36分、ついに星越トンネルが見えてきた。ここが国道55号最高点である。標高だけなら ば、今まででももっと高い場所を走ったことはあるが、いずれも逆行をしており、最高点まで登っていったのは、自転車特攻隊としてはこれが初めてである。

だ が、星越峠の場合は、ここで全てが終わったわけではない。徳島側はダム建設に伴う道路の付け替えをしているところであり、その割には道路幅が狭い。しか も、片歩道となっている。途中のトンネルも最後のトンネルには歩道があるものの、逆側では、速度が上がっており、かつ体系が縦に長くなっている我々では、 右側へ移れと言う指示を出すことができない。しかも、途中で上りがそうであったように、再び登ったりもする。後で、妻があの区間が一番怖かったと言ってい た。

それでも、なんとか無事に阿波福井駅まで下っていく。ここからは、しばらく行くと、国道を離れる。阿南を通らずに線路沿いに県道をショートカットする。このあたりは徳島在住4年の間に得た知識の塊ではある。

  

(左右:国道55号最高点、星越峠)

と もかく、阿波福井駅では30分近い早着となっているので、ここで休むことにする。すでに妻は限界に近くなっているのが判る。判るのだが、最大の難所である 星越峠を越えたとはいえ、ここはまだ日和佐からは16・7キロ地点であり、今日の行程の3分の1であるという現実がのしかかる。しかも、今朝6時には松山 付近にあった雨雲が、すでに徳島県境までかかってきている。このままでは、いずれ雨に降られる。限界に来ている妻には申し訳ないが、20分ほどの休暇で出 発を促す。妻も判ってはいるようだ。

だが、ここで、今日唯一といってい いミスをした。さきほど、ここから県道を通って国道をショートカットすると言ったが、そのショートカットするべき道は、JR沿いにあった細い道であったの だ。車で走れば、確かに県道を走ればいいのだが、この県道は最初の数百メートルが急な上り坂だったのだ。その峠を越えたら、後は川沿いに下ることになる。 が、その川が蛇行しているため、昨日の日和佐トンネル同様、しばらくすれば標高70メートルの花峠を越えることになる。妻の無言の悲鳴が聞こえるような気 がするが、これを越えなければ終着はない。が、遅れながらも妻はついてくる。まあ、かずまるは体力を無駄に使うタイプで、どどっと走れば、先で休む、そし て、休んでいる間に妻が追いつくというパターンが続いている。

そして、 再び下りに入るのだが、この先に先ほどの花峠が近づいてくる。これを越えれば、まもなく、この行軍初めてであろう昼食のための食堂が待っている。峠にかか る直前に、地元のおばさんが「あと少しですよ」と励ましてくれる。そして、その花峠も予定よりも約15分早い11時過ぎに峠へとたどり着く。これで徳島ま で、大きな坂はない。これで難所は終わったはずだった。

ところが、そこ から別の問題が始まった。私とかずまるの行軍では、昼食に店へ入ることはありえない。だが、妻のためにあえてホームページを探し回って、桑野駅近くの食堂 を探していた。これが今回行軍の最大の目玉であったはずなのだ。ところが、そこへ行っても店が全く見当たらない。それどころが、桑野駅付近には全く店がな い。しかも、そうこうしているうちに、ついに雨が降り始めた。

この桑野 を過ぎれば、羽ノ浦間でまではJRがない。つまり、いくら大雨になっても後戻りできない。妻子に、最悪の事態を想定して、この桑野駅ならば特急が停車する ため、ここでリタイヤするか?と提案した。が、合羽を持参していることもあって、かずまるがリタイヤはいやだという。

  

(左:阿波福井駅、右:左:源義経の像)

よ うやく、コーヒー専門店を見つけたが、そこで食事にありつける保証はないし、その間に雨脚が強くなることも考えられる。意を決し、その向こうにあるコンビ ニまで移動する。幸いなことに、このコンビニには敷地内に食事をとれる机と椅子がある。屋外ではあるが、幸い雨は強くならない。そこで昼食を買い込んで食 べることにする。すでに、妻は「旅の恥はかき捨て」状態だったらしい。申し訳ないが、敢行することだけを考えると、これは頼もしい。

食事中に、雨雲レーダで確認すると、既に日和佐は相当雨が降っているらしいが、幸い雲が南下しているため、我々の向かうべく徳島へ北上すれば、大雨には会いにくいと推測される。が、ここで、自転車の積荷を全てビニールでガードをする。

桑 野にあるコンビニを12時前に出発。ひたすら羽ノ浦へと向かう。雨は強くはならないが、自転車で走れば雨がやみ、休憩すると雨が降り始めるという状態が続 き始める。途中で雨雲レーダで確認すると、徳島市付近はまだ降っていないようだが、確かに雨が東側を除く3方向から迫ってくる様子が見える。

だ が、再び国道55号へ合流し、羽ノ浦へ入ったところで、ついに雨が強くなり始める。仕方なく、ここにあるコンビニで、下半身だけ合羽を着て、頭をかずまる はヘルメットそのまま、妻は私の帽子、私はタオルでの防御をし、上半身は濡れ放題の状態で特攻にはいる。まさにかずまる特攻隊である。が、不幸中の幸いか もしれないが、土砂降りの雨にはなる様子はない。むしろ、朝よりも気温がかなり下がって、暑くはないし、風邪をひくほどでもない。

そ うして、ようやく国道55号バイパスへとはいる。徳島まではあと16キロを切った。しかも、多分ここからは全線自転車通行可の歩道が続くことになるだろ う。最後の坂である赤石トンネルもたいしたことなく走っていく。そのトンネルを過ぎると、源氏橋に続き、義経橋を越える。しばらく行くと、左手の小高い丘 に義経の像が建っているのが見える。ここは、屋島への決戦のため、神戸から悪天候の中出撃した源氏軍が上陸したところなのだろう。その丘にある神社に興味 があるのだが、如何せん、小雨とはいえ断続的に降り続く。服も汗と雨を吸い込んで、異臭を放っているのが判る。徳島駅へ到着したら、何はともあれ、多目的 トイレへ駆け込んで着替えがしたいと思う。この段階では既に予定時刻よりも30分以上早く進んでいる。多分、1本前の列車での帰宅が可能だろう。予定では 松山到着20時24分の1025Dを予定していた。かずまるはアンパンマン列車で帰りたいらしいが、そんなことを言っている事態でもなかろう。

  

(左:【参考】伊予の早曲がりで有名な松山市内の場合、右:高松駅1023M)

そ ういうことなのだが、自転車通行可の歩道を走っていると、気づくことがある。それは、徳島では国道へ出てこようとする自動車の先頭部分が、かなり手前にあ ることである。愛媛県の場合は上の画像にあるとおり、「伊予の早曲がり」示すとおり、相当前へ出ている。が、徳島ではもちろん例外はあるものの、基本的に はかなり手前で停車しているため、自転車の通行にはほとんど支障がないのである。(私も徳島の自動車教習所に通っていたからあえて)徳島の運転マナーは全 国的にも最悪だと今まで認識していたが、自転車や歩行者にとってみれば、愛媛県の自動車運転マナーは徳島の比ではないような気がした。

そ して、残り7・2キロ地点となる勝浦川を渡る。まもなく徳島市に入るところで、とうとう前方に眉山の姿がはっきりと見えるようになる。まだ、あそこまで行 くのは遠いような気がしないでもないが、いよいよ終着点が見えてきた。雨はむしろ羽ノ浦あたりよりは弱くなってきた。しかし、やむ様相もない。あとは前進 あるのみである。

ついに徳島市へ入るが、もう、アップダウンと言えば、 川を越えるところだけである。しかも、徳島市そのものが5メートル沈んだら、眉山の麓まで沈むような地形であり、そうたいした勾配もない。その眉山も多少 方向を変えながらも確かに近づいてくる。そして、右前方に徳島県庁が見えた。あと、1・2キロである。このあたりから、再び雨脚が強くなってきた。が、こ こまでくれば、もう雨なぞ関係ない。徳島駅の多目的トイレに駆け込めば同じである。

県庁を過ぎ、新町川を渡れば、あとは過去の記憶が徳島駅まで導いてくれる。徳島市役所のあたりがかなり変わっていたが、国道192号をオーバークロスし、まもなく最終目的地である徳島駅へと到着したのであった。当初予定よりも約45分早い、14時40分であった。

が、 ここからがある種の問題である。昨今の交通事情からみて、徳島駅前は当然ながら自転車を置くスペースがない。多目的トイレに駆け込みたいが、それには自転 車が邪魔になる。仕方がないので、自転車をおりたたんで、荷物にしてしまうしかない。ともかく、駅の多目的トイレで親子3人服を着替えて、1本早い 3020Dに乗り込んだのであった。

ここまでくれば、この3020Dの 車両を駅員に尋ねたところ、185系だというので、前側に並んでいたら、実際は2000系であって、自転車の置くところに余分なスペースを必要としたこ と、というより、2400系だったため、先頭2号車の最後部が身障者用座席だったため、自転車が置けなかったこと、さらに、予想に反して途中からかなりの 乗客があったが、例のかずまるの自転車のハンドルがちょうど後頭部に当たる部分への座席へ一度は座りかけたものの、結局あきらめて、その席だけが空いてし まっていたこと、1023Mでは当初かずまるに2号車後部4席確保をさせるため走らせたものの、結局3号車も発車10分前だというのにがらがらで、私は自 転車2台をかついで(もう1台は当然妻が持つ)わざわざ余分に走りたくないと思って3号車へ乗り込んだら、しばらくかずまるとはぐれてしまったこと。そん なことは、もはやどうでもよく、宇多津から19Mが満席でそこから流れてきた乗客が右往左往しているものの結局かずまるの自転車の例の席があいているのを 覗き込むことなぞ我関せず(というより、私の隣には1台の自転車が納まっている。もう1台の自転車とかずまるの自転車はそれぞれ最後部座席の後ろにセット 済み)、この四国一周自転車特攻隊最大の難関と思われた甲浦〜徳島間1泊2日の行軍が終了したのであった。

な お、後日談ではあるが、妻は今回の旅行に大変感慨を持ったらしい。が、かずまるは前回の1日の距離としては最長の61キロ、また2日間でも今回よりも14 キロ以上長い前回の甲浦〜あかおか間の方が大変だったという。また、私としては、その前の須崎〜あかおか間、つまり翌日悪天候リタイヤした時のことが特に 記憶に残っているため、妻とは話が合わず、妻は少々機嫌が悪い。だが、私としては、その悪天候リタイヤを予測して、前日高知〜あかおか間約17キロを余分 に走った(当日の走行距離約56キロ)からこそ、前回の甲浦からの行軍が(最長距離ながらも)繋がったわけで、それに感慨深いものがあるのである。

そして、いよいよ次回から再び瀬戸内海側へと舞台を移してくることになる。(2009.07.31)

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